カンボジア-Cambodia-
橋本部に別れを告げた翌朝、私はカンボジア行きのバスに乗った。
早朝にバンコクを出たのに、着いたのは夜の9時半だった。

…長すぎるだろう…。

これには、旅行会社の策略があると聞いた事がある。
こんな夜遅くに疲れ果てて着けば、それから宿を出て探す人も少ないから、
バス会社と宿の間で、契約が成立する。
途中で立ち寄るレストランも、他に選択肢がないから同様だ。

とりあえずこの日は、シャワーだけ浴びて、速攻寝た。

(左)タイとカンボジアの国境。アンコールワットのついたゲートを越えると、そこはカンボジア。(右)バス移動の休憩時間に見た夕日。


翌朝、ドアをノックする音で目が覚めた。
起きると、ジェームスという昨日バスが一緒だったアメリカ人の兄さんがいた。
「俺は体が大きくて、バイタクの後ろに乗るのはつらいから、
よかったら一緒にトゥクトゥクに乗って遺跡巡りをしないかい?」


ジェームスは、昨日私が夕食休憩後バスに置いていかれた時、
一番に気づいて運転手に連絡してくれたという恩人だ。

…そう、私はバスに置いていかれた。

バスが夕食休憩でレストランに止まったのだが、大したおいしくもないのに高いし、
一緒に食べる人がいなかったのも相まって(寂)、私はレストランの裏で子供と遊んで時間を潰していた。
そして、そろそろかなと思って戻ると、私の乗って来たバスは、既に出発した後だったのだ。
「こ、こんな何もないところで夜を明かすのはつらいぞ…」
運よく、もう1台シェムリアップ行きのバスが止まっていたのを見つけた私は、
運転手に頼み込み、補助席でもトランクでもいいからとにかく連れて行ってくれ、と頼んでいた矢先、
私のバスがUターンして戻ってきた。
私を乗せて再出発したバスの中では、ジェームスが気づいたんだよ、という話になり、
握手する私たちに笑いが起こっていた。

まぁそんな恩人だから、一緒に遺跡巡りをしてもよかったのだが、
何せアメリカ人の英語というのは、私にとっては最も聞き取りづらい英語である。
インドのバラナシで、アメリカ人のアレックスと半日過ごしただけで、
「意味わかんないけどヘラヘラ笑ってイエス、イエスを繰り返す日本人」に成り下がった私は、
彼との遺跡巡りに耐えられる自信がなかった。
ついでに、今回の私のカンボジア再訪の目的は、遺跡観光より、日本語教授にあったため、
初日から遺跡巡りをするほどのテンションもなく、私はやんわりとお断りし、またベッドへ戻った。

昼までダラダラ眠って疲れを取った私は、地図を片手にのんびり散歩をする事にした。
シェムリアップの街というのは小さなもので、
国道沿いに歩いているうちに、前に来た時の見慣れた風景の場所に出た。
「あぁ、あそこ曲がったら郵便局だ…」
地元もよく歩けないくせに、シェムリアップの道を覚えている自分に感心しつつ、さらに進む。
そして私は、キリング・フィールドへ向かった。
キリング・フィールドは、以前行った時に地元の子供達に日本語教室を開いたり、
そこの坊主達にやたらモテたり、色々楽しかった場所で、(詳しくは前回のカンボジアの章参照)
今回もここに通って、子供達に日本語を教えたいと思っていた。


キリング・フィールドに着くと、見覚えのある青年が寄ってきた。

…なんか見た事ある…気のせいか…?
でもこの笑顔、すごい覚えてる…
もし会ってたとしたら、きっと前回ここで会ったんだろうなぁ…



はっ!

「…Were you monk before?」
「Yeah!!」

なんと、私が前にここを訪れた時、彼はここで修行していた坊主だった。
そうそう、人懐っこい笑顔で、仮にも僧侶のくせに「ボーイフレンドにしてよ!」とか言ってきたヤツだ。
思い出した。

彼、サイハは、つい最近坊主を卒業して、今は普通の青年に戻ったのだそうだ。
「なんでお坊さんやめたの?」
「ガールフレンドが欲しくなったんだ」
「・・・・・・」
そんな理由で仏門を辞していいのか。俗世への欲でいっぱいではないか。生臭坊主ではないか。

この日はすでに日本語の教室は終わってしまっていたようで、
サイハはこの後私をクラブに連れて行ってくれた。
大音響の中でみんな踊っていたが、タイに比べるとイマイチみんな垢抜けていない感じがして、
そんなところから、あぁ、カンボジアに来たんだなぁ、と感じていた。

(左)朝ご飯を食べた屋台の夫婦。久々に英語の全く通じない人に出会い、クメール語の本片手に草の根交流をした。(右)お寺の坊主たち。イイ★


翌日、私は1つ大きな悩みの下にいた。
「タソム(ゲストハウス)に行くか行かないか。」

敏感な読者の方は、前回のカンボジアの章を読んでお気づきかもしれないが、
私は前回カンボジアを訪れた時に一緒に過ごしたポリンとの間に、問題を起こしていた。

簡単に言えば、ポリンが私の事を気に入ってくれて、
帰国後も私の事を想い続けているらしいー、という、まぁよくある話だ。

私は再三、私は応えられないから新しい恋見つけて幸せになっておくれよというメールを送り、
ポリンもやっと納得がいったようだったのだが、
メールでのやり取りだけではどこかすっきりしない気持ちが残っており、
旅がしばらく出来なくなる今回を機に、一度ポリンと向かい合って、きっちり話をつけよう、と思ったのだ。

しかし、やはり現場がすぐそこまで迫ると、おじけづいてしまう。
自分のしている事が、正しいのかわからなくなってくる。
もしかしたらやっと落ち着いたポリンの心を再び乱す事になるのでは?
このままデクレッシェンド式に消滅させるのがベストなのでは?

…炎天下の下で悩み続けると、思考能力がだんだん弱ってくる。


あ、そういえば、ゲストハウスの前の小さなレストランの ママの作るシェイクは激ウマだったな…


のどが渇いた私は、そのレストランへ向かった。
見てください、このトロ〜リとした100%マンゴーシェイク!



のどを潤しながら、私は「成り行きに任せよう」という結論に至った。
つまり、このレストランにいて、ポリンが来たら話すし、来なかったら縁がなかったという事で。

そして数分後、なんとポリンがバイクに乗ってゲストハウスへ帰ってきた。
1年半も見てないから、もしかしたらわからないかもと思ったが、一目見てすぐにわかった。
そして、バイクを置いたポリンは、なんとなんとレストランへやって来て、私の隣に座った。

あまりに急な出来事に、ガイドブックを読んでるフリをする私。

ポリンが何となくこっちを気にしているのがわかる。
挙動不審に席を立ってみたり、わざと大きな咳をしたり。

…最初こそ、気づかれた方がいいのか気づかれない方がいいのか、急な出来事にうろたえたが、
しばらくしてくると、いつポリンが声をかけてくるか、面白くなってきた。
次第に私はサングラスを外したり、ポリン側の髪をかき上げたり、ヒントを与え始めた。
10分近くが過ぎ、ポリンの友達がやって来た。
彼らの会話はクメール語だが、会話の中に「Miho」という単語があるのが聞き取れる。
フフフ、いつ話しかけてくるだろう…

そしてポリンの友人が、
「Hey, where are you from?」と話しかけてきた。ポリンは横で他人のフリ。
「Japan」
「What is your name?」
「Maybe he knows!!!(そいつが知ってるんじゃない?!)」

私に指をさされたポリンは、飲んでいたファンタをブーッと吹き出していた。
そして私とわかるなり、前のように私をどついてきた。

2杯目のシェイクを飲みながら、私たちは沈黙の数十分について盛り上がり、そのうち
「Where is your boy friend?」とか
「Did you find new love?」とか、
グレーゾーンかと思われた話も、普通に交わしていた。ホッとひと安心。

その日の夜は、ポリンが飲みに連れて行ってくれた。
着いた先には、前回仲良くしたソップンはじめ、数人の仲間たちが集まっていた。
そして彼らは口を揃えてこう言う。

「ミホ、前と変わったなぁ」

「前より英語がうまくなった」 「前より太った」 「前より目が大きくなった」 「前より酒が弱くなった」 「前より若くなった」
…お前ら本当に私の事覚えてるか?


この夜は、相当数のビールを空け、私は宿のトイレで目を覚ました。

とてもじゃないが、炎天下の遺跡巡りをしようという気にはなれない私のところにポリンがやって来て、
西バライへ行こうと誘ってくれた。
西バライは、前にも行った場所で、大きな湖のほとりにハンモックがぶら下がっていて、
昼間からビールを飲んで、昼寝をしたという怠け者には最高の場所だ。
今回も、前回と同様に、ビールと鶏の足を買って食べ、ハンモックで横になる。

さぞかし気持ちのいい昼寝が出来たかというと、全く寝れなかった。
というのも、カンボジアでは、カラオケが大流行しており、
あちこちから、大音響で気持ちよく歌うカラオケが聞こえてくる。
この時も、どこからともなく、オッサンの歌うタル〜い演歌のようなカンボジアンソングが延々と聞こえ、
立派な睡眠妨害となってくれたのだった。

(左)西バライは、タイヤの浮き輪で遊ぶ子供達が少しいるだけで、本当にのどかな場所。(右)ハンモックに揺られるポリン。

日が落ち始め、ポリンはバイタクらしく、「夕日見に行く?」と聞いてきた。
シェムリアップでのサンセットポイントとして有名なのは、間違いなくプノンバケンという山だ。
前回私も初日からプノンバケンの夕日を見に行った。
しかし、あまりに人が多くて、夕日が見たいんだか人が見たいんだかわからないような場所で、
私はポリンに、「人の少ないサンセットポイントに行きたい」とリクエストした。
すると、ポリンは、プノンクロムという場所へ連れて行ってくれた。

カンボジアの言葉で「プノン」というのは「山」という意味のようで、
前回行ったプノンバケンも、ちょっと急な山…というか丘だったのだが、
今回のプノンクロムは、正真正銘の「山」だった。
緩くはない勾配を、ぜいぜい言いながら上る。
「普段バイクばっかりだから歩かない…」と、 車社会の都会っ子のような事を言う貧弱なポリンを引っ張り、汗だくで頂上まで上る。
そこには、観光客は数えるほどしかおらず、崩れかけたお寺が佇む、とても静かな場所だった。
「夕日なんか毎日見てるから興味ない」とポリンは離れた場所で携帯をいじくっており、
私は一人で、沈み行く夕日をずっとずっと眺めていた。

…まぁ実際夕日ってのはどこで見たって夕日なわけで、
もちろん平原に沈む夕日はキレイだったけど、うん、、まぁキレイだったな、いいか。

(左)夕日に全く興味を示さないポリン。携帯好き。(右)何もない広大な平原に沈む夕日。


翌日は、一応アンコール遺跡で有名なシェムリアップに来ている以上遺跡も見るのが筋かと思い、
遺跡観光を決行した。

しかし、正直なところ、遺跡ってのは1回見れば十分な気がした。
もちろん2度目でも、遺跡の迫力や、美しさは劣る事なく立派なんだけど、
初めて見た時の感動というのはどうしても1度限りのもので、2度目ではそれに勝るものがない。

そんな私が今回遺跡巡りで楽しんだのは、中国人・韓国人団体客の多さだった。
特に韓国からの団体は、「オモニ」の集団ばかりで、
「お前その格好でアンコール遺跡はないだろう」というような、オカンさながらの彼女らに、
私は遺跡以上にシャッターを切った。

(左・中)韓国人。どう見ても普通の主婦たち。オモニ。なぜカンボジアに? (右)集団で同じ帽子をかぶるのは中国人。うるさい。

結局面倒くささ暑さが、遺跡を見たい気持ちに勝り、私は昼過ぎに宿へ戻り、
涼しくなってきてから、キリング・フィールドへ向かった。

そして、ここでまた厄介な事が起こった。

実は昨日、私はキリング・フィールドへ行くと言っていたのをすっぽかしていた。
するとこの日着くなり、サイハに
「昨日美穂が来なくて泣いていたんだ。Because I miss you and I love you!と言われた。

あーまた始まったよ、得意のアイラブユー。
何でカンボジアの男はこうも簡単にアイラブユーなんだろう。
初めてポリンがそう言ってくれた時は素直に「あぁそうなのか」って思ったけど、
実はカンボジアではそこらここらにアイラブユーが転がっている。
今日会ったカンボジア人の男の子達の中で、「彼女が日本人なんだ」と言ってきたヤツが何人いた事か。
日本人の女の子は落としやすいって言うし、カンボジア♂日本♀のカップルは多いっていうけど、
あまりに簡単なアイラブユーと(本人は本気なのかもしれないけど)、
自分もその一端を仮にも担ったのかと思うと、これにはもう辟易してしまった。

日本語を教える気にもなれず、来た途端に帰りたくなったのだが、
「昨日約束破ったんだから、今日は晩ご飯一緒に食べるよね?」的な雰囲気が漂っており、
同じくキリング・フィールドで国語の先生をしているシンハの誕生日という事で、
彼の誕生日パーティーに同行する事になった。
カンボジアには、日本とよく似た鍋があり、みんなで楽しく鍋をつついた。

しかし、私がトイレに席を立ち、用を足してトイレを出ると、
そこにはサイハとシンハがそれぞれ私を迎えに来ていた。どうやらシンハにも気に入られたらしい。
せめてどっちか譲れよ、って感じもするのだが、
サイハに右から肩に手を回され、シンハに左から腰に手を回され、私はS字になりながら、席へ戻った。

  もういいから。マジで。


(左)元僧侶のサイハ。顔が近すぎます。私もさすがにちょっとひきつり。(右)クメール語教師シンハ。オレンジレンジにいそうな、普通にイケメンだったけど…

※一応念のために言いますが、私は決してモテるような外見ではないし、
別に相手をたぶらかすために色目を使ってみたり、といった事は何ひとつしていません。
彼らは、日本人なら誰でも良いんじゃないだろうか、と正直思う。


翌日は、ポリンがどうしても行きたい場所がある、と言うので、そこへ行く事にした。
大きな滝があって、週末はカンボジア人の家族連れでにぎわう場所なのだそうだ。
しかしまぁそこはとても遠くて、私は約2時間、ポリンのバイクの後ろに乗っていた。
太陽は徐々にまぶしく熱く照らしてくるし、砂埃で目が開かなくなるし、長時間のバイクはつらいのだが、
不思議な事に、ポリンの運転はすごく心地よくて、
ネパールにいた時のアルジュンの運転なんかは死と隣り合わせな気分満点だったが、
ポリンの運転は、後ろで寝かけていても、全然心配ない。
2時間のドライブを経て、私たちは、プノン・クーレンに着いた。

丁度日曜日だった事もあり、ポリンの言っていた通り、たくさんの家族連れが訪れていた。
私も早速濡れてもいい服に着替え、ポリンと滝に飛び込んだ。
最初こそ、「冷たーい!」「滝だー!」とはしゃいでいた私たちだったが、
あっという間に滝に体温を奪われ、最終的にブルブル震えながらテンションがた落ちで着替えた。

(左)目当ての滝。こんな激流のふもとで恋を語らうカップルってすごい。(右)たくさんの家族連れや若者が楽しんでいた。

それから近くにあるお寺にお参りをして、また2時間かけて帰ってきた。
考えてみたら観光客には1人も会わなくて、
観光地に来てるくせに観光客嫌いの私の事をよくわかってくれているポリンのチョイスに感謝した。

(左)立ち寄ったお寺。やたらリアルに人間くさい仏像だった。(右)そして巨大な岩の上というすごい場所に建っていた。


宿に着くともう夕方で、お互いぐったりだったのだが、
ポリンが「5時半を過ぎるとアンコール遺跡にフリーで入場出来るから」と言って、誘ってくれた。
フリー(タダ)という言葉に弱い私は、すぐさまバイクの後ろにまたがり出発した。

夕方の遺跡は、もう人も少なく(6時で閉まる)、でも夕日をバックに佇む遺跡は、
すごく静かで、でも荘厳で、その中をバイクで風を切りながら疾走するのは、すごく素敵なツアーだった。
もし3回目のシェムリアップに来る事があったら、
きっともう遺跡入場チケットは買わずに、5時半からの30分のフリー観光で十分だなぁ。

宿に戻ると、ポリンの友人が中国人の女の子のお客さんを連れており、
ポリンと私を合わせた4人でご飯を食べに行く事になった。
この日もまた定番の鍋を食べに行き(地元では有名な美味処だったらしい)、
宿に戻ると、宿の向かいのお寺で、何かやっているようだったので、連れて行ってもらう事にした。
中に入ると、どうやら日本で言う縁日のような感じで、いくつかの屋台や見世物小屋があった。
いまや日本ではお祭りに行くと、300円が普通で、綿菓子なんかは400円もする。
しかし、ここではほんの何十円で、何でも楽しむ事が出来る。
私たちは風船を割るダーツ輪投げなどを楽しんだ。

(上)ちょっとブレてるけど、屋台。全部小さな風船。1人10本の矢を投げて、割れた風船の数によって、並べてある景品がもらえる。


翌日の早いバスで、私はシェムリアップを発ち、バンコクへ戻った。
何ともあっという間のカンボジア。

…結局ポリンとちゃんと話をつける事が出来たのかというと、正直ワカラナイ。
一応2人で向き合って話をする事は出来た。
けど、その夜ポリンが飲みすぎてゲロってしまったり、色々大変な事もあった(汗)。
私は言いたい事を伝えたけど、ポリンとの合意までは行かなかった気がする。
私の一方的な「伝えたからね!」という自己満で終わってしまった感も否めなくはない。
でも…ポリンはイイ男だから、早く新しい恋を見つけて欲しいな、と本当に思う。
シェムリアップって、本当に恋の宝庫だから…

っていうか、マジ多過ぎだわ、カンボジアと日本のカップル。
前来た時に何で気づかなかったんだろう。
今回もサイハやシンハから速攻アイラブユーが飛び出して、そういう言葉はもっと大事に使えよ、と思ったが、
彼らから出てくるアイラブユーは、いささかウソでもない場合が多い。
(サイハも今回実家のある村へ私を連れて行き、家族に会わせたいと言ってきた)
そんなピュアハートに動かされてしまう物資王国日本の乙女たちの気持ちがわからないでもない。
神秘の遺跡、満天の星空、素朴な人々、南国の熱気…色んな要因が相まってコロッといってしまうのもわからんでもない。
…まぁここで私がウダウダ言っても何にもならないので、興味を持った方は、ぜひカンボジアへ。


翌日、また長い道のりを揺られ、しかも途中まではトラックの荷台というひどい待遇で、夜にカオサン着。
ゆっくりゲストハウスで休みを取り、翌日は夜のフライトまでの時間、ゲストハウスの兄ちゃんと時間を潰した。
彼は家族にお土産を買いたいという私を、ショッピングモールのようなところへ連れて行ってくれた。

(左)カンボジアからの帰り。荷台って…牛か私は。  (右)ゲストハウスの兄ちゃん、ソムジット。挙動不審で面白い兄ちゃんだった。

ここで面白いものを2つほど発見したので、ご紹介しようと思います。

@カラオケボックス
タイのカラオケは、ゲーセンのようなところに、電話ボックスとあまり変わらない大きさのボックスがいくつか並んでいる。
中に入ると、自販機のような機械と、イスが2つあって、1曲10バーツ(30円くらい)入れて選曲するらしい。
日本のように、何時間も過ごすというよりは、好きな曲を2,3歌って出る、という感覚っぽい。

Aプリクラ
なんとタイにもプリクラが上陸していた。
けど、これはプリクラと呼んで良いのか正直ためらうような似て非なるものだった。
まず、カーテンをめくって中に入ると、おばさんがいる。
私たちは、何等分するか決めて、おばさんに告げる。
それから、おばさんが背景のカーテンの色を変えてくれる。
そして、画面に映らないようにしゃがんだおばさんが、「ヌーン、ソーン、サーン(1,2,3)」と言って、シャッターを切ってくれる。
これを2,3度繰り返し、それからおばさんが機械についているパソコンで処理をする。(シャッターもEnterキー)
そして、下のプリンターから普通にカラーコピーで写真が出てきて、
それをおばさんがシールのシートと重ねて、下についているローラーで1枚のシールにする。
そして最後におばさんが端を業務用カッターでザクリ、ザクリと切りそろえ、終了。
いやー…、タイのプリクラ、恐るべし。
けど、帰りに空港で、日本の初期プリクラ機、「プリダム」のようなのを見かけた。ちょっと進歩。

(左・中)カラオケボックスと、タイ語の歌詞。 (右)プリクラ…っていうのか?!

そして私はエアーインディアに乗り込み、学生時代最後の旅は、こうして終わったのでした。
次の旅はいつかな〜。。。

(左)何度も食べた、タイのマックのタロイモパイ。(中)ハマッってしまったタイの豆乳。(右)かわいいエアーインディアのマスコット。



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