4.2日目 6月6日 南京

…かゆい。全身あちこちを蚊に刺されている。
足から顔までやられている。
夜には気づかなかったが、空港内には蚊がいたようだ。

気を取り直し、1階の両替へ。
とりあえずお金を中国元に替えないことには始まらない。
…が、閉まっている。
まぁ確かにまだ朝は早いが…。でももう朝便の飛行機は到着しているし、

ってかここ空港じゃん?

いつ開くのか、近くにいた職員に聞くと、3階のカウンターで聞けと言われ、
3階に行けば1階で聞けと言われ、私たちは何度も何度も空港を上下に往復した。
その結果、どうやら10時に開くらしいということがわかったのだが、どうにもこうにも職員の対応がいい加減である。
すっかり不信になった私達は、USドルで空港から出るという強攻策に出た。

一歩空港から出ると、たくさんのタクシー運転手が待ち構えている。
USドルを使える運転手を探し、まなっぺの中国語と私の筆談で交渉。
この時は少し高い値段だと思ったが、後々ガイドブックを読むと、私達はカナリの値切りに成功していたようだ。

ついに中国の町に乗り込む。
全体的に原色がなく、何となくくすんだ色合い。
想像してた中国とそれほど違わない。
違っていたのは、アパートのベランダから出ている物干し竿が、外に突き出すように縦に使われていた点ぐらいだろうか。

タクシーは上海駅へ、ぐんぐん飛ばしている。
なぜか助手席に座っていた兄ちゃんは、おもむろに読んでいた雑誌(ジャンプみたいなの)を車の窓からポイッと投げ捨てた。ありえない…。

タクシーは上海駅に到着した。
レートがよくわからなかったが適当にUSドルを渡し、足りなさそうな分は100円玉を渡すといういい加減さでタクシーを降りた。


上海駅で南京行きのチケットを買い、とりあえず朝食を購入。
それから列車乗り場を探したのだが、なかなか見つからない。
人に聞いてみるが、中国語なのでイマイチよくわからない。
すると、私達が理解していないことに気づいたのか、先程道を尋ねたお姉ちゃんが強引に引っ張って乗り場まで連れて行ってくれた。
しかし、自分達の乗る列車のゲートはもうしまっているようだ。
係っぽいお兄ちゃんに聞いてみると、もう受付が終了したらしい。
え、まだ発車時刻より前なのに!
どうやら中国は、発車時刻の10分前には乗り込んでいないとダメらしい。
結構いい加減なようで、こういうろころはパンクチュアルである。
乗りそびれた旨を伝えると、別の係員ぽいお姉ちゃんが、次の時間の便の乗り場へ連れて行ってくれた。
なんか中国人、いい人もいるらしい。謝謝

駅の係員の親切な対応のおかげで、私達は無事南京行きの列車に乗ることができた。
…乗っただけである。
席はおろか、立つスペースもなく、なんか隅っこの階段に座り込んで、朝食用に買ったおいしくないパンをモソモソ食べた。
ガイドブックには"中国はパンがおいしい"なんて書いてあったけど大ウソである。
この後もあきらめずに何度かパンを買ったが、この旅を通じて一度もおいしいパンに出会うことはなかった。


南京に到着。
南京駅は少し高いところに建っていて、駅から出ると町を見渡すことが出来た。
この瞬間私達は「中国に来たー!」と実感した。
なんと表現していいのかわからないが、とにかくそこは中国の景色だった。
写真を残せばよかったのだが、私達にはそれが出来なかった。
群がってくる中国人を払うのに手一杯だったのだ。
私達は、一晩靴を履いて寝ていたため非常に足がムレており、靴をバックパックにぶらさげ、サンダルで行動していたのだが、
その靴を引っ張る、引っ張る。
普通に歩いていたら、クイッと後ろに傾く。
引っ張るなっつの!
「そんなに靴が珍しいか!」日本語で叫びながら群れを払う。

群れ払いがひと段落ついたところで、私達は道行く人に、両替の出来る銀行の場所を尋ねた。
すると、あっという間に私達を中心に円が出来上がった。
そして中国人はそれぞれに銀行の場所を説明している。
1人ずつしゃべれ、1人ずつ。
そしてみんな一通り喋ると満足するのか、だんだん散っていく。
気づいたら誰もいない。
結局銀行がどこなのかよくわからないまま私達は2人になっていた。
・・・いまいちその習性のつかめない中国人…。

何とか無事両替を済ませた私達は、そのまま町で夕方発の北京行きチケットを購入し、昼をとることにした。

偶然見かけたその小さな店は、店頭で麺の生地を伸ばしており、とてもおいしそうだった。
私達はそこで「刀削面」「千切面」というガイドブックを見て食べてみたいと言っていた麺を注文した。
生地はとてもコシがあり、香草が効いていておいしかった。
隣のテーブルでは、店の主人の息子だろうか、小さな男の子がお手伝いをしていた。
私達はめんこいその子アメをあげて店を後にし、南京大虐殺の記念館へ向かうことにした。

(左)南京の駅。この後改札をくぐり、靴を引っ張られまくる。(中)お昼。量がすごかったけど、おいしかった〜♪(右)上海⇒南京チケット

虐殺記念館は思いのほか小さかったが、私達が受けた衝撃は大きかった。
私達は学校で今までの歴史の授業を受けてきたが、こんな事実は勉強しただろうか?
日本は被爆しているせいか、「やられる側」のイメージが強かったのだが、日本もやってんじゃん。
私は実はここに来るまで南京大虐殺というのが具体的にどんなものだったのか知らなかった。
自分の無知さもだが、日本はもっとちゃんとここを勉強する必要があると強く感じた。
テストで漢字で書けるようにするだけじゃなくて、この事件がどんなものであったのか、きちんと知る義務があると思った。
最近「過去の過ちを反省していない」と、中国で反日感情が高まっているというニュースをよく聞くが、
日本は「そんな過去のことを」と笑うのではなくて、自分たちの犯した罪を、しっかり勉強して理解する事を怠ってはいけないように思う。

記念館で少し脳みそを使った私達は、列車の時間まで、長江を見に行ってのんびり過ごす事にした。
長江には大きな橋が架かっており、そこから長江を見下ろす事が出来るのだが、
私達はその橋に上るチケット代をけちって、川辺から眺めることにした。
が、遠い。
川辺からだいぶ離れたこころに塀があり、それ以上近づけなくなっているので、長江の広大な眺めがダイレクトに見えない。
ならチケットを買えばよいのだが、いざ買おうとしてもチケット売場がどこかよくわからず、
ちょっと疲れ気味の私達は、微妙に見える長江をバックに一休みした。
余談だが、この長江の手前には大きな公園が広がっており、そこには中国ゴマを巧みに操るおばちゃんがいたりして、
結構景観的には面白かったことを付け加えておく。

(左・中)長江。本当に大きいのか、上手く撮れなかったけど大きいです。(右)長江大橋。橋っていうか道路?この上から長江を眺められる。

そしてこの後南京駅に戻った私達は、今日一番の中国的ビックリに遭遇する。
「ニーハオトイレ」である。
中国の公衆トイレは、個室のドアがついていないのである。

遂に出会ってしまった…!

最初はカナリびびったのだが、郷に入れば郷に従えである。
私達はこのあたりから中国ナイズされ始めたのではないかと思われる。
いざ体験してみると、これまたなかなかいいもんだったりもする(?)。
この晩私達は寝台列車(軟臥・400元=6000円)で北京へ向かった。
そういえば、なぜ北京へ向かうことになったのかというと、
距離と日程の問題から西安か北京どっちかにしようという機内会議の結果、
西安は兵馬俑しかないが、北京なら万里の長城や天安門広場など、なんか色々ありそうだよね、という安易な意見から決定したものである。

(左)北京行きの列車にて。軟臥は一番高いだけあり、寝心地も良かった。(右)南京⇒北京チケット。


5.3日目 6月7日 北京 天安門広場

早朝、北京駅到着。
でかい中国の首都北京、やはりでかい。
朝から駅前はたくさんの人でごった返している。
私達はとりあえず地図を購入し、前日に調べていた宿に向かった。
バスから北京の町を眺めていると、天安門広場の横を通りかかった。
「おぉ、天安門広場だ…!」
…しばらく走っても横はまだ天安門広場である。
・・・でかい。ひたすら石畳が続いている。
さすが中国…。

幸い宿には空きがあり、私達は11人部屋にチェックインした。
ドミトリー(ベッドだけ並ぶ大部屋。一番安い)初体験の私はドキドキしながら部屋へ向かう。
ドアをあけると、奥のベッドで数人が寝ている他に、欧米人の青年がいた。
荒木、人生初の旅人との交流である。
Hello,から始まり、
「Where are you from?」
「イザエル」

…イザエル?

イザエル、イズァエル、イズァェル、イスァェル、イスァエル、
「イスラエル!」

古典的仮名遣いから現代的仮名遣いに直すような過程を経て、彼がイスラエルから来た事が判明した。

で、イスラエルってどこ…?

ベツレヘム?エルサレム?なんかそんなような感じのとこだ。
よく戦争とかしてるとこか。
随分治安の悪いところからおいでなさったねぇ…。

いまいちリアクションの取れない国ではあったが、まぁ出会いというのはこんなもんなのだろう。
私達は自己紹介もそこそこに、とりあえずシャワーを浴びる事にした。
何せ出発してから丸二日、シャワーを浴びていないのだ。
これが女の子2人の旅なのだろうか。

まなっぺがシャワーを浴びている間、シャイというその青年は私にこう言った。
「明日俺達万里の長城に行くんだけど、一緒に行かない?」
「行く!」
というわけで、来て早々明日の予定が決まった。万里の長城!すごい、すごいぞドミトリー!

シャワーを浴びて気分も新たに、私達はあのドでかい天安門広場へ向かうことにした。
北京に来たからには、あの毛沢東の写真を拝まずに帰るわけにはいかない。
天安門広場は地図の中でも目立っており、迷う事なく着く事が出来た。
私達は、毛沢東を目指して歩き始めたのだが、似たような門が次から次へと現れるだけで、なかなか毛沢東が出てこない。
石畳は日光を照り返し、ジリジリと熱い。
"天安門広場の上を飛んでいた鳥が、広場を渡りきれずに焼け落ちてしまった"という話があるそうだが、いささかウソでもないと思った。

(左)ひたすら広い天安門公園。         (中)こんな感じの似た門がいくつも続いている。(右)やっと毛沢東が見えてきた…!


ひたすら歩き、やっと毛沢東とご対面。中国に来た実感が沸いてくる。
ノドがカラカラだった私達は、天安門の前で売っていたココナッツのアイスを買った。
「うちら、毛沢東の前でアイス食べてるよ…」
よくわからない満足感に浸りつつ、あっという間に溶けてくるアイスを一生懸命食べる。
ちなみに天安門の前では、アイスの他に、中国の国旗や、「北京」と入った帽子など、誰が買うのかよくわからない商品が売られていた。

(左)遂に出会った、毛沢東。           (右)毛沢東の絵のサイズを、人との対比にてどうぞ。

アイスとの格闘で手をベタベタにしつつ、私達は毛沢東の下をくぐり、故宮へと進んだ。
毛沢東の向こうは昔の皇帝の城になっており、上にのぼると毛沢東と同じ視点で天安門広場を見渡す事が出来た。
よく歩いてきたと感慨にふけるほど、天安門広場は大きかった。
ここから国民を見下ろしていた皇帝は、一体どんな気分だったのだろう…。

(左)ここに何千万の国民が集まって皇帝の話を聞いたんだろう…。(右)皇帝になっちゃったまなっぺ。

奥の城は博物館になっており、陶磁器などの壷や置物が展示してあった。
私もまなっぺも、こういった歴史的な作品には興味のあるほうなので、なかなか楽しく見る事が出来たのだが、
それにしても広い。
城の地図も持ち合わせていなかったため、どこを歩いているのかもよくわからないし、
そのうちさっき見たところを歩いているのではないかという気にすらなってくる。
私達は、ある程度奥まで進んで引き返す事にした。

(左・中)「紫禁城」とも呼ばれ、映画ラスト・エンペラーでも使われたところ。              (右)城の中をさまよう私。

城の出口では、九龍壁を発見した。
ガイドブックを眺めていた時に、「中国には龍を描いた壁が3枚ある」と読んでいたが、
まさかその1枚がここにあるとは知らなかった。
ちょっと見てみたいと思っていただけに、私はカナリ感動してしまった。
しかし、あくまで私見ではあるが、まなっぺは九龍壁より、同じく城の中にあった「星巴克珈琲」(スタバ)の方が気に入っていたようだった。

(左)九龍壁。色使いとかが中国っぽくて、カナリ見つめてしまった。(右)中国版スターバックス。

バカ広かった故宮を後にし、私達は北京駅へ向かい、2日後の杭州行きチケットを買った。
ちなみに杭州に決まった理由は、機内会議でパラパラ〜っとガイドブックをめくっていたら、
大黒様の石像が目に入り、当初北京の近くの大同石窟寺院に行きたかったが時間の関係であきらめた私達にとって、
その石像がちょうど良い代打に映ったからである。
場所的にも、上海から遠くない。
毎度ではあるが、そんな安易な理由から、私達は杭州へ行く事を決めたのだった。

中国では、黙っていてはチケットは買えない。
初めてチケットを買った時は、おとなしく列に並んでいたのだが、
気づけば中国人は列なんて関係なくどんどん横入りしている。
それを学んだ私達は、ここでも郷に入れば郷に従えで、ズンズン列を割って進み、
カウンターに着いたら軽くバスケのゴール下のスクリーンアウトをかけるような感じでカウンターを占拠し、
交渉が終わるまで後ろの中国人に割り込ませないというスラムダンク的ゴール下死守戦法をとった。

だいぶ中国ナイズされてきている私達は、無事チケットを購入し、
軽く駅前の広場でヤシの実のジュースや、正体のわからない果物を買ってお祝いした後、適当にバスに乗って、北京観光に出掛けた。
「面白そうなところに着いたら降りよう」と言いつつバスの進むがままに揺られていると、
さすがに全然わからなくなってきた。
あたりも薄暗くなってきて、私達はとりあえずバスを降り、近くで果物を売っていたおじさんに場所を尋ねた。
すると南京同様人がたくさん集まってきて、私達はまた円の真ん中に立たされていた。
おじさんは人柄が良く、何やら色々説明してくれるのだが、何を言っているのかよくわからない。
そこで筆談用のメモを渡すとこう書いた。

『小泉純一郎』

…道案内じゃないのかよ!
日本の総理大臣を知っているぞ、と言いたかったのであろう。親日家だ、と言いたかったのかも知れない。
いいんだけど、いいんだけど、…ここはどこなんだよ!

おじさんと別れ、結局で歩き始める。
途中スーパーに寄って、下着や電池、シャンプー、虫刺され薬など、旅行客とは思えない日用品を購入し、
いい具合にお腹もすいてきた頃、私達の前に串屋さんが現れた。
きらひやかなネオンの看板が立っており、なかなか繁盛しているようである。
私達は、路上に設置されたテープル席に着き、よくわからない漢字のメニュー表から適当に注文した。

しょっぱなから、イマイチよくわからない品が出てきた。
「こんなの注文したっけ?」
「ってかこれ何?」
ふたりで皿の上に置かれた得体の知れない物体を見つめる。
「…ハッ!」
まなっぺはこれが何かわかったらしい。
しかし、いくら私が聞いても何かを教えてくれない。
そのまま、“せーの”で食べようという事になった。
「せーの!」

パク。…苦い。まずい。

「…教えて。これ何?」
「よーく見てみて…」
暗くてよく見えない中、目を凝らしてみると……カラスが私を見つめているではないか!
そう、カラスの頭だったのである。

…食べちゃった…。

どうやらメニューの一番上にあった、「鳥ナントカ」というのがどうやらカラスの頭だったらしいのだ。
串屋さんで鳥、と何の疑いもなく頼んだらこれだったのである。
それ以降はひたすらカラスの上につまみの落花生の殻を積み、カラスの視線をさえぎる事に力を尽くした。
いやぁ中国、恐るべし。

(左)串屋さんのネオン。結構繁盛していた。  (中)一緒に食べているところ。他のは普通においしかった。 (右)帰り道で見つけたケンタッキー。

宿に帰ると、もう結構いい時間だったのだが、家に連絡しようという事で、シャイの案内でネットカフェに向かった。
ここで私は本当に痛感したのだが、初対面の人って何を喋っていいのかわからない。
昼にまなっぺがシャワーを浴びている時も、もう間を持たせるのに精一杯で、
今こうして3人で歩いていても、私はまなっぺの横で微笑み係である。
まなっぺは自己紹介で、マナミという名前が覚えづらいというシャイに、
「オーケー、覚える方法を教えるわ」なんて言って
My name is Manami」なんて言っている。
慣れている。カッコいい。
私は幸い昼間に自己紹介した時点で名前を覚えてもらっていたので、何もひねる必要はなかった。
短い名前をつけてくれた両親に感謝したのは言うまでもない。

初めてネットカフェに来た私はパソコンの使い方がよくわからないうえに、
連絡する家族のアドレスをMSNに入力するのをすっかり忘れていたため、
あてずっぽうにアドレスを入力して送信してはエラーで返ってくる、という間抜けを繰り返していた。

6.4日目 6月8日 万里の長城

翌日は、朝8時に宿を出発。バスで万里の長城へ向かう。
どうやら宿でバスを1台チャーターしたようで、小型のバスには旅行者達が、10人ちょっと乗っている。
約3時間、私達は荒れた道に揺られまくり、万里の長城のひとつ、司馬台へ向かった。

私は今回中国を旅するまで知らなかったのだが、万里の長城というのはひとつではなく、中国全土にいくつも点在しているのだそうだ。
そのうちいくつかは観光化が進み、きれいに整備されているのだが、
今回私達が向かった司馬台は、割と手をつけられずに自然のまま残っているもので、
ガイドブックを見ていた時に、「行くならここがいいね」と言っていたら、シャイのお誘いがたまたまここだったという、
ちょっと運命な長城である。

だいぶ山奥に入り、長城のふもとでバスは止まった。
これから何を言われるのかとワクワクしていると、運転手は「2時までにここに帰って来い」とだけ言って全員を下ろした。
そう、勝手にしてくれ、ということである。
私達はとりあえず長城に向かって歩き始めた。

手がつけられていないだけあり、道も険しい。
カナリの急勾配を頑張って上る。

(左)いよいよ見えてきた。山の上の、魚の背びれのようなのが長城。(中)急勾配で、あっという間に下に麓が見える。(右)ドミトリーで出会ったシャイ。

長城は、ある距離ごとに監視台のような小屋があり、私達はひとつひとつその監視台へ向かって歩き、休憩した。
振り返るたびにその景色は素晴らしく、息は切れて足はもう限界なのに、
私達にまだ上りたいと思わせる不思議なパワーを持っていた。
天安門に続き、また私達は四千年の深さに圧倒されてしまった。
監視台の横には洗濯物が干されていたり、だいぶ頂上に近い場所で横のおっさんの携帯が普通に鳴ったり(電波どうなってんの?!)
別の部分でも中国は私達の常識をひっくり返す驚きを与えてくれた。

(左)長城にかかる洗濯物。             (中左)まだまだ上りたい!(中右)長城はあまりに長く、ゴールすら見えない。(右)まなっぺの帽子の文字、「長城」。…買っちゃった…。

昨日はなんだか欧米人に馴染めず戸惑っていた私だったが、長城を一緒に上っているうちに、
だんだんシャイと打ち解けてくることが出来た。
帰りのバスでは、一緒に不眠対決をしたり、宿に着いてから一緒にアイスを食べに出かけた。
…こんな感じで徐々に仲良くなってきたのだが、私はこの夜、その距離を一気に縮める事に成功する。

私達は、シャイと一緒に晩ご飯を食べに行く事になり、北京ダックを食べられる店を探すことになった。
レストラン街のようなところに出ると、どの店も強引な呼び込みをしてくる、
北京ダックがあるのか聞いても「とりあえず入れ」の一点張り。そこで私は、
「北京ダックはあるのかっつの!グァー!ガー!アヒルの真似をした。
と、このモノマネがシャイのツボにハマったらしく、シャイは爆笑。
レストランを決めて落ち着いてからもニヤニヤこっちを見て笑う。
それを見て私は「What?!」と突っ込む。
後のまなっぺ曰く、「2人を見てるの楽しかったもん」という事で、私とシャイはアヒルのモノマネを通じてさらに近づく事が出来た。
まさしく芸は身を助ける、である。

もちろん楽しい話もたくさんしたが、シャイは23とは思えないほどオトナの考え方を持っており、
イスラエルという国の話、そしてそれに対する自分の意見を話してくれた。
イスラエルには3年間の兵役義務がある事、自分はユダヤ人で、イスラムの国には危険が伴うため入国出来ない事、
神様が誰かで争うなんて下らないという気持ち、
人生は短いんだから自分のしたい事をしなきゃ、という日本社会で苦しむ私達に対するアドバイス。
…日本にはこんな23歳いないんじゃないかなぁ…。

この後私達はナイトバザールへ出かけた。
意外に協調性がないのか、この3人はそれぞれ勝手に店に入り、全員迷子になり、全員お互いを探し、
無事に再会し、中国製のお茶用水筒を買って帰った。
余談だが、このお茶水筒は、日本でお目にかかることはないが、お茶文化中国では皆が持ち歩く、
まさにメイドインチャイナな産物である。

(左)長城の帰り。不眠対決敗北。      (右)ご飯の後の、ナイトマーケット。アジアの夜は趣があります。

7. 5日目 太極拳・北京大学

この日もまた前日のシャイからのお誘いにのって、早朝に太極拳を見に行く事になり、5時に起きた。
私達がチェックアウトの手続きでもたついている間、シャイは傍らで待っていてくれたのだが、
「シャイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(怒)!!!!!!!!!!!!」
という仲間の女の子の怒鳴り声で行ってしまった。
あんな立派なシャイでも女の子にはかなわないらしい。
というか、後々のまなっぺの話だが、イスラエルの女の子というのは全体的に怖い雰囲気の人が多いらしい。

まぁそんなこんなで私達も別のタクシーで後を追う事にした。
ところが、目的地の天壇公園というのはとても広い。
現地に着けば会えるかな、なんて思っていたが、全然どこにいるのか見当もつかない。
仕方ないので、私達は私達で天壇公園を見物することにした。

私は、ものすごい広い公園で、ものすごい人々が同じ動きをしている光景を想像していたのだが、
実際公園を見てみると、それほど大きな集団はおらず、あちこちで小さな集団がそれぞれの太極拳をやっているという感じだった。
しかし、十分にこの公園の光景は面白かった。
本当に、早朝にもかかわらずたくさんの人がおり、そして彼らは太極拳以外にもそれぞれにオリジナルのエクササイズをしていて、
その内容というのが、ただひたすら木の枝にぶら下がっている爺さんや、
超高速でバドミントンをするオバチャンたち汗だくになって後ろ向きに歩くおっさんなど、
日本にいては絶対、絶対見れないようなものばかりなのである。
完全に異世界である。
みんな朝の5時から公園で何やってんだよ。

異世界を見物して歩いていると、ひとりの爺さんに声をかけられた。
その爺さんは輪になったゴムチューブを相手に投げ、それをキャッチするという何に良いのかよくわからないエクササイズをしていたのだが、
どうやらやってみないかという事らしい。
最初はチューブがヨボヨボになってしまい、うまく飛ばなかったのだが、慣れてくるとなかなか楽しい。
すると今度は頭で受けてみろと言い出した。
なんだかもうヒゲダンスでリンゴを刺す気分である。
朝からゴムチューブを頭で受けるなんて、中国だから出来ることだ。本当に異世界だった。

ゴムチューブエクササイズを堪能した私達は、気持ちよくお腹もすいたところで近くの食堂に入った。
私は揚げパンと豆乳の組み合わせが大好きだったので、今日もそれを頼んだ。
まなっぺは肉まんを頼んだのだが、セイロに10個くらい入ったものが出てきた。
…朝から1人で食う量じゃないだろうよ。
しかしおいしい。
きっと朝から運動したせいだ。
実際食堂では、これから会社・学校に向かう人々がたくさん朝食をとっていた。
朝早く起きて、意味のわからない運動をして、それから一日が始まる。なるほど、中国人タフなわけだ。

この日の私達は、本当はイワ園という有名な庭園に向かうつもりでいたのだが、
なぜか予定を変更して北京大学へ行くことにした。
確かに北京大学はどんな旅行ツアーにも組み込まれることはまずないだろう。
個人旅行ならではの北京大学だ。

北京大学のキャンパスはとても広く、大きな池が広がっている。
気温は36度となっていたが、体感的には40度を超える暑さだ。
建物の中も見たいのだが、どの建物にも入口に警備員が立っていて、
結局入れたのは、気の弱そうな新米(っぽい)警備員の立っていた建物1つだけで、
しかもその建物は、建設中なのか、中にはほとんど人がいなかった。
というか、この日北京大学は試験期間中だったらしく、どの人に声をかけても、I'm busyで取り合ってくれない。
やっと取り合ってくれたのは、一般生とは別に、もう試験が終わっているという香港からの留学生グループだけだった。

私達は、何か北京大学での思い出を残そうという事で食堂へ向かった。
食堂は警備員もおらず、私達は北京大学生に混じって学食を食べることにした。
バイキング式の食堂は、やたら饅頭系が多く並んでおり、おかずは炒め物が多い。
何がおいしいのかわからないが適当に取り、席に着く。
ここで私は中国人の食事のマナーに目を奪われた。
普段食器を持って食べるという習慣をあまり気にした事はなかったが、中国人、犬食いである。
みんな姿勢が低い。
しかも、魚の骨や果物の種は、そのままペペッと直接お盆の上に吐き出している。
お皿の端に丁寧によける日本の食べ方がどんなにきれいなものか初めて実感した。

食事の後、未練がましくキャンパスをうろついていると、またさっきの香港の留学生グループに遭遇した。
彼らはなかなかミーハーで、その場で写真を撮り、アドレスを教えてくれた。
まぁこれはこれでいい交流である。

というか、試験中といえど、キャンパス内にはそれなりには学生がいたのだが、
いや、結構たくさん学生はいたのだが、話し掛ける私達の率直な意見としては、「イケメンがいない」の一言に尽きる。
ちょっとイケメンかと思えば常にツガイになっており、暇そうなのがいても声をかける気にならない風貌だったりする。
そりゃあもちろん人を顔で判断するわけじゃないし、イケメン探しに行ったわけでもないが、
でも正直戦意喪失させてしまうものがあった。
北京大学、学力レベルは高いが、イケメン率は非常に低い、というリサーチ結果をここに報告する。

(左)香港からの留学生グループ。「今晩電話して!」と電話番号も渡された。(右)食堂はプリペイドカード式だった。

私達はイケメンのいない北京大学を後にし、荷物を取りに、宿へ戻る事にした。
この帰路で私はずっと気になっていた事があった。
それは、私達は今朝シャイと別行動になり、それから結局会えぬまま北京大学へ行った。
もし宿に戻ってシャイがどこかに出かけていたら、私達は別れの言葉も言えないまま去る事になってしまう。
せっかくあんな仲良くなれたのに…。

宿に着いた時、丁度シャイが出てきた。
今から郵便局で荷物を送るのだと言って、たくさんの荷物を抱えていた。
私はこんな偶然シャイと会えた事に本当に驚いてしまった。
そして、最後にお礼を言うと、たったの2日も一緒に過ごしていないのに、本当に自然に泣けてしまった。
シャイもびっくりしたのか、まなっぺに「どうして美穂は泣いているの?」と聞いている。聞くなよ。
確かに、ほんの少ししか一緒に過ごしていないのにそんな泣かれてしまったら、シャイだって戸惑ってしまったのかもしれない。
けど、それほどにシャイは私の中で大きな存在だった。
初めてのドミトリーで初めて会った旅人。
一緒に万里の長城も見たし、北京ダックも食べた。
全てが初めてづくしの私には、シャイはとても大事な人になっていた。

そんな私に、シャイはアドレスを渡してくれた。
これからもシャイと連絡が取れると思うと少し心が和らいだ。
そして私達は時間も残り少なかったので、take care,と言い合ってその場を後にした。

これは最近の私とまなっぺの一致した意見だが、欧米の人は自分から日本人に話し掛けてくる事はあまりないし、
ましてグループで来ている人達はまず話し掛けてこない(シャイも女の子2人と旅をしていた)。
そんな中シャイはとても人懐こく私達に接してくれた、ちょっと珍しい例だった。

私達はこの後バスで北京駅へ移動し、軽い夕食をとった後、杭州行きの軟座(316元・4740円)に乗った。

(左)シャイとお別れ前の1枚。マジ大好きだ〜!!!(中)北京駅。本当にでかい駅だった。(右)北京⇒杭州チケット。


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